キャラクター

スリ・ジャヤ・パングス王
ワルマデワ王朝のスリ・ジャヤ・パングス王は、1179 – 1181年という短く、波乱含みの在任期間中は、バリ王朝の歴史上においても激動の時代でもありました。彼は中国漢王朝のカン・チン・ウィという外国人の妻を迎えることで、伝統的なしきたりに反逆しました。王と真実の愛の力は高僧にも止める事はできませんでした。王は“バリ”と“漢”を合わせた、後にバリンカン王朝として知られるようになる土地に城を移しました。ここで彼は、比較的短期間の間に強力な支持者を得てバリ島で最も尊敬される王の一人となりました。残念なことに、高僧の祝福を得られなかった二人は子宝に恵まれませんでした。その事に不満を感じていた王は近場バトゥール山のお寺に巡礼に出かけます。そこで彼は湖の女神デウィ・ダヌゥと出会いそこでロマンスが芽生えました。まもなく、二人は男児に恵まれます。この情事とその後の激しい揉め事の最中に王とその妻は石像に変えられてします。しかしながら、そのような事があっても二人はその神聖性を高く評価され続け、今でも人々はバリ島の最も重要な祭日であるガルンガンやクニンガンのお祝いには二人をかたどった肖像を持って出掛けていきます。

カン・チン・ウィー
中国の大商人の娘であるカン・チン・ウィーは中国の様々な踊りをマスターし、チャーミングな個性とゴージャスさで評判の姫でした。彼女はジャヤ・パングス王と結婚し、幸せでしたが不運なことに子宝に恵まれませんでした。バトゥール山に巡礼に旅立った夫を探しに行った際に最愛の夫を湖の女神に取られてしまったことに気がつきました。その後の戦いにより王室の夫婦は女神の呪いよって石像に変えられてしまいました。今でのその伝説は受け継がれ、カン・チン・ウィーは繁栄の神と崇められ神社や商売の取引場所などにバロン・ランドゥンという人形として崇敬されています。

デウィ・ダヌ
スリ・ジャヤ・パングス王の配偶者である、湖の女神デウィ・ダヌはバリ島における水の女神と信じられており、2人いる最高の女神の一人とされ、バリ人にとって欠かせない命の水源である湖の王国を指揮しています。湖は島中に広がる青々とした水田に水を引いてくれる繁栄の証しとされており、デウィ・ダヌは豊穣の象徴として崇敬されています。 影絵師ダラン
影絵の語り手であるダランは劇の間ずっと息子に語りかけるように、バリ・アグンの物語を語り聞かせます。バリ島の過去と未来を語る事でわかってくる事は、海外との文化的交流は避けられないという事です。ダランという職に就く事はバリ人にとって大変名誉な事です。彼らは聖なる書物に記載されているサンスクリット語を解釈し、日常の言葉に置き換え、今風のジョークを織り交ぜつつ人形のキャラクターを通して聖なるメッセージを面白おかしく伝えます。バリ島においてダランは単なる芸術家に留まりません。彼らは語学の専門家、僧侶、教師、歴史家、コメディアン、エンタテイナーでなくてはなりません。影絵は時に宗教的儀式にも取り入れられるため、ダランは神聖な催しの運営もできます。実際、210日ごとにバリ人はトゥンペック・ワヤン(影絵の日)を祝う習慣があり、その日は影絵の人形と影絵師にまつわる宗教的な行事が行われます

大朗、パペットマスター
ショーを通して、人形ストーリーテラー、大朗は、これが異文化接触が避けられない発生であるという事実を強調してバリの未来と過去を記述し、息子にバリ島のアグン山の物語を詳述している。大朗であることはバリで最も尊敬される職業の一つです。彼らは彼が再生されている文字を介して各神聖なメッセージをマッチングしながら新鮮なジョークで楽しい方法で、日常の言葉に神聖な書籍の高く評価されてサンスクリット語を翻訳することが可能である。バリ島で、したがって、大朗だけで芸術家以上のものです。彼はよくコメディアンや芸能人などの言語の教祖、司祭、教師、歴史家でなければなりません。人形の公演は、しばしば宗教的な儀式のために献身されているので、バリの大朗は、神聖な機能を管理することができます。確かに、一回ごとに210日で、バリを祝うtumpekワヤン(ワヤン日)は人形や人形のマスターに捧げられ宗教的な儀式である。

僧侶
バリ島の人口は300万人程で、ほとんどの住人がヒンドゥー教を信仰しています。ヒンドゥー教徒にとって僧侶は大変重要な存在です。ヒンドゥー教の僧侶は王家よりも権威があり、社会的に最も尊敬を集める職業です。かつては僧侶が王の行動を決定していました。僧侶の決定に反抗しようものなら、悲劇が起きます。スリ・ジャヤ・パングス王がそうでした。彼は僧侶の権威に反抗し王国を移し、なんとか自分の城を立てることに成功しましたが、運命は思いもよらぬ形で彼に襲いかかりました。バリ島ではあらゆる儀式一つ一つに僧侶が関わります。赤ちゃんの髪の毛を切る日程、田植えの時期、木を切る日までも僧侶に相談しなくてはなりません。

船長
バリ島の豊富な農産物に目をつけた中国の商人は早くも11世紀のはじめに既にバリ島に交易所を設立しました。そのひとつは頻繁に船の行き来のあった漢家の交易所です。彼らは内陸にあるバトゥール湖近郊のバリの王家とも関係を築きました。彼らは地元の王家と交易しただけでなく、王家と贈り物を交換し合うまでになっていました。 漢家の娘が王家に嫁いだ事で、娘がファーストレディになり、漢家の貿易商が彼女を富の女神として不朽の名声を与えた事で、バリ島中のマーケットや交易所には彼女の社が置かれるようになりました。

語り手
バリアグンは基本的には視覚的な劇なのですが、観客は英語を話す語り手の解説によってより深く流れを理解する事ができます。作品の制作の裏側にはイ・マデ・シディア氏という“バリアグン:バリ島の女神伝説”成功のキーマンが存在します。’





